男の子ってみんなそうなの?食べる・寝る以外は動いているうちの3兄弟。よく食べて、よく動いて、よく転んで、よく笑って、よく泣いて、よく寝る。そんな3兄弟との何気ない毎日をエッセイという形で残したい。共感したり、クスっと笑ってくれたら嬉しいです。
第10話:幼児期のお弁当の意味合い
「あしたのおべんとうな~に~?おいしいのがいい~!」と次男が言う。すると長男が「おかあさんのお弁当はいつもおいしいよ!」と言ってくれる。あぁ、なんて嬉しいことを言ってくれるんだろうと思い、「ありがとね!」と伝える。わたしのお弁当はキャラ弁ではなく、いたってシンプルなもの。冷凍食品も入れるし、昨日の夜ごはんの残りものも入れるし、焼きそばや焼うどんだけのときもある。普通のお弁当なのである。
わたしは最近、自分がTwitterでつぶやいたある言葉が引っかかっていた。その日は朝からバタバタ。まずは前日の家事の「つけ」がいい感じに溜まっていた。これはわたしが悪いのだが、朝食やお弁当作りがすぐに始められないと気持ちが追われてあまり好きではない。あとは次男の機嫌が悪い。体調が悪いこともあったのだが、機嫌の悪い次男が長男や三男に絡んでいくと本来起きなくてよいはずのトラブル発生。「♪水のトラブルはっせんば~ん」なーんてCMがあったように、どこかに問い合わせたら救世主が来てくれないかな、とぼんやりした頭で妄想する。
早々に現実世界に戻ると、次男を落ち着かせることに集中しようと試みたが、頭の隅に「今日のお弁当はオムライスを作るんだ」と考えていたのでわたしの気持ちが焦っていた。次男の言葉を真に受けてイライラして惨敗。身支度していた旦那が助っ人に入ってくれて事態は収束。さすが!と思いながらもそのとき旦那に「ありがとう!」と伝えたかな?と今になって反省する。
朝食を食べ始める時間はだいたい7時過ぎ。時計をみると今日はオムライス弁当を作っている時間はないと判断。オムライスになるはずだった卵で玉子焼きを作り、ウインナーはただ焼いただけ。ブロッコリーを入れておかずはおしまい。完成したお弁当は子どもたちに見せてからお弁当袋にいれる。いつも通り見せたら二人とも「オッケー!!」と言ってくれた。救いは、オムライス弁当にすることを伝えていなかったこと。もし、話していたら…きっと、またトラブルになっていただろう。セーフ。
さて、こんな朝に私はTwitterで【前日の家事のつけ(これは自分のせい~)と、子どもの小さなトラブルが多発すると大変ですよね。結果、オムライス弁当になれなかった卵とウインナーたちです(笑)お恥ずかしいですが】とツイートした。引っかかっていた部分は【お恥ずかしいですが】というところ。いやいやいや、待てよ自分!何言ってるんだ!!いつもすごいものを作っているかのような、はたまた、栄養士なのにこんなんですみませんと言っているようだ。これこそ恥かしい。そしてよくないなと感じた。自分で自分の首を絞めているし、玉子焼きとウインナーとブロッコリーは子どもの大好きなおかず。そこに引け目を感じなくてよい。こんな日もある。いや、こんな日が通常か!?ましてや栄養の仕事をしている私が、「恥ずかしい」と言ってしまうことで、「これではダメなのかな?」と思ってしまう人もいるのではないか。わざわざ言わなくてもよかった。
お弁当作りは大変なのである。冷凍食品が入っていようが、昨日の夜ごはんの残りが入っていようが、すべて手作りだろうが、なんだってどんなお弁当だって、子どもたちは自分のために作ってくれていることを小さな身体で感じ取ってくれている。帰ってきてお弁当をカバンから出す。「おいしかったよ!」「クラスで一番に食べ終わったよ!」など言いながらお弁当箱を見せてくれる。「あぁ、作ってよかったなぁ」としみじみ感じる。言葉で言わなくても空っぽの弁当箱をみると、うれしい気持ちになる。
どこに目をむけるのか。自分が褒められたくて作っているのではないし、誰に言い訳もしなくていい。
食べること自体が愉しい。友達や先生と食べることがうれしい。そんな時間になるようなお弁当でよいのである。幼児期のお弁当の意味合いは、【全部食べられた!】でいいのだとわたしは思う。栄養は二の次でも、子どもの心はお弁当を通じて、作ってくれた人へのありがとうの気持ちや食べることの愉しさを感じ取る。それで充分なのである。だから、わたしも「恥かしい」ではなく、「今日も子どもたちが愉しく食べられますように」とより一層気持ちを込めて作りたい。
3人子育てエッセイ『基本、食べる寝る以外は動いてます』をよろしくお願いします。
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