2014/11/24 |
人として

「人として」
指導者という職業柄、指導というメニューに気が向きがちになります。
指導者とはかくあるべきとか、こうでなければいけないとか。
という前に
「人として」
どうあるべきなのか。
子どもたちと接する以前に。
「人として」
自分を高めようとしているのか。
「人として」
間違っていないのか。
指導(技術・戦術)ができるから偉いのか。
技術が高いから偉いのか。
いや間違ってる。
そう勘違いしている指導者はたくさんいるような気がする。
プロになるのがゴールなのか。
技術を習得することがゴールなのか。
それは人それぞれ違っていい。
それを見つけてあげられるのが指導者じゃないかな。
世の中には、おおくの犠牲者がいる。
指導者の意図にそぐわない。
技術的弱者がいる。
そこに目を向けずに、上手いやつだけひろいあげて、それ以外は知らない。
私は、できないけど運動したい。
運動ができるようになりたい。
運動って愉しい。
そういう想いを創造していく。
今日そういう出来事に遭遇した。
悲しかった。悔しかった。
でもそれが現状。
一人でも、そういう子を救える指導者でいたい。