お久しぶりです。
更新が滞ってしまって申し訳ないです。
題名にある「指導とは」と常に考えます。
もちろん世間で言われる「指導者」として、それを仕事として今は生きています。
仕事である以上、そのことを常に考えるのは至極当然の事。
である。
が、その「指導」という2文字の言葉で書けばとても簡単なものであるけど。
私はこんなにも凄く難しく、奥深い、そして「愉しい」ことがとても好きです。
いや好きというより、生きがいなのかもしれない。
仕事で、プライベートでいつも「教える」ことをしている。
でもまだ「指導」ということをすべて理解できていないと感じることがたくさんある。
なぜ「教える」ことと「指導」することって違うと思うのです。
私の個人的な意見なので、賛否はあると思います。
指導者の考えを押し付けるのが「教える」
指導者も考え、一緒に答えをみつける、みつけさせてあげることが「指導」
まだまだ色んな現場で指導させていただく機会があるが、それが「教える」ことになっていてはいけないんだと。
それはたとえ、大人でも子どもでも同じなのではないか。
一つの運動を考えるときに、理想的なフォームがあるとします。
その理想的なフォームを子どもに「教える」のがいいのか。
まずはその運動が愉しいと感じさせ、理想的なフォームと子どもの特徴を捉え、子ども自身がそれを理解しながら、自分なりに考えたフォームを身に着けるのか。
どちらがいいのか。
まず愉しむことではないか。
まだまだ私も未熟で、子どもたちに毎日「指導」してもらっています。
子どもたちの意見を聞き、指導してもらい、子どもを指導して、お互いに高めあう。
そんな環境を作れる指導者でありたいと思う。
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