お互い様
2月…
一年で一番寒い時期。
外での指導のこの時期は寒くてしんどいです。
実は末端冷え症なため、手足の先から芯まで、かっちんこっちんです…。
ですが寒いなら動けばいい。
ってことで、2.3月はタグラグビーをしています。
ラグビーといってもボディコンタクトがないように腰にベルトをまき、そこにタグと呼ばれる帯のようなものをつけます。
そのタグを5回とったら攻守が交代となります。

ラグビーと聞くと「痛そう」というイメージがあると思いますが…
タグを取るので、基本的にはぶつかり合いはありません。
こどもたちのアンケートでも、サッカーやドッヂボールをしのぐ人気の種目です。
色々なゲーム要素がありますが、
僕がこのタグラグビーで重要視しているのは、「前に進むこと」
です。なんせラグビーはボールを前には投げれないので。
5回とられるまでは攻守が交代しないので、まずはとられてもいいので、進むこと。
簡単なようで難しいです。
タグを取られる恐怖心って意外とあります。
でもやっていくうちに、少しずつ積極的になります。
得点をとれた時の子どもたちの表情、仲間とパスを繋いでいく楽しさ。
とても楽しくできます。

さて表題についてです。
スポーツの世界も、社会の中でも
何の世界でも人と人がつながっている以上「お互い様」
でもそれを忘れて「自分の事」しか考えない人。
結構スポーツの世界で多いように感じます。
残念ながら、そういうチームや関係者を応援することはできません。
強ければいいのか、強ければ偉いのか、偉いから何でもやっていいのか。
子どもの未来をつぶそうとする、そんな一般団体があることが残念です。
人のふり見て我がふり直せですね。
そうならないように活動していこうと再認識した日でした。

人として
「人として」
指導者という職業柄、指導というメニューに気が向きがちになります。
指導者とはかくあるべきとか、こうでなければいけないとか。
という前に
「人として」
どうあるべきなのか。
子どもたちと接する以前に。
「人として」
自分を高めようとしているのか。
「人として」
間違っていないのか。
指導(技術・戦術)ができるから偉いのか。
技術が高いから偉いのか。
いや間違ってる。
そう勘違いしている指導者はたくさんいるような気がする。
プロになるのがゴールなのか。
技術を習得することがゴールなのか。
それは人それぞれ違っていい。
それを見つけてあげられるのが指導者じゃないかな。
世の中には、おおくの犠牲者がいる。
指導者の意図にそぐわない。
技術的弱者がいる。
そこに目を向けずに、上手いやつだけひろいあげて、それ以外は知らない。
私は、できないけど運動したい。
運動ができるようになりたい。
運動って愉しい。

そういう想いを創造していく。
今日そういう出来事に遭遇した。
悲しかった。悔しかった。
でもそれが現状。
一人でも、そういう子を救える指導者でいたい。

うごく!
ますます寒さが増して、なかなか動くのが億劫になる季節ですね。
「うごく」とは「重」と「力」という形でできていますね。
重いものを力でというイメージがあって、なんだかかったるいイメージに感じるのは私だけでしょうか?

最近子どもたちから「疲れるから動きたくない」とか「だるい」とかっていう言葉をよく耳にします。
これって大人もそうですよね。
動くのって疲れるし、やるまでに時間がかかるし、なにより場所も一緒に友達もなかなかいない。
ことが多いです。
今の日本では、特に子どもの時期においてこの「時間」「空間」「仲間」という「三間」が減少しているという指摘がされています。
しかし、子どもだけに限ったことではないですね。
大人もなかなかこの「三間」の減少は著しい。
さて今日触れたいのはその中でも「仲間」についてです。
「仲間」と一言言っても、これをゼロから作るのって難しいですよね。
でも人って一人では生きていけないから、必ず「仲間」が必要なんです。
そしてどんな「仲間」が欲しいのか、この人だったら仲良くできるな。
と思って「仲間」になる。
そうやって集団は作られていくと思うんです。
いままで学生の時、仕事で、またプライベートで色々な方々にお会いして、感じるのは。
「うごく」ことで、新たなつながりができたこと。
それには、めんどくさがらずに「自分から動く」ことなんだと思います。
この「自分から動く」ことって人生で一番必要で、一番大切なことなんだと。
子どもたちにも、「自分から動く」ことを実践できるようにしています。
準備も片づけも、あいさつも。
スポーツだけではない。
運動だけではない。
運動ができなくたっていい。
スポーツができなくったっていい。
そんなの問題じゃない。
できるできないは能力の差。
自分で動いて、人の為に動くことができる。
そんな子どもたちをそだてていきたい。
そのためには私自身がまずは、子どもたちに見本を見せなくてはいけない。
子どもたちに関わる指導者として、まずは見本を。

指導とは
お久しぶりです。
更新が滞ってしまって申し訳ないです。
題名にある「指導とは」と常に考えます。
もちろん世間で言われる「指導者」として、それを仕事として今は生きています。
仕事である以上、そのことを常に考えるのは至極当然の事。
である。
が、その「指導」という2文字の言葉で書けばとても簡単なものであるけど。
私はこんなにも凄く難しく、奥深い、そして「愉しい」ことがとても好きです。
いや好きというより、生きがいなのかもしれない。
仕事で、プライベートでいつも「教える」ことをしている。
でもまだ「指導」ということをすべて理解できていないと感じることがたくさんある。
なぜ「教える」ことと「指導」することって違うと思うのです。
私の個人的な意見なので、賛否はあると思います。
指導者の考えを押し付けるのが「教える」
指導者も考え、一緒に答えをみつける、みつけさせてあげることが「指導」
まだまだ色んな現場で指導させていただく機会があるが、それが「教える」ことになっていてはいけないんだと。
それはたとえ、大人でも子どもでも同じなのではないか。
一つの運動を考えるときに、理想的なフォームがあるとします。
その理想的なフォームを子どもに「教える」のがいいのか。
まずはその運動が愉しいと感じさせ、理想的なフォームと子どもの特徴を捉え、子ども自身がそれを理解しながら、自分なりに考えたフォームを身に着けるのか。
どちらがいいのか。
まず愉しむことではないか。
まだまだ私も未熟で、子どもたちに毎日「指導」してもらっています。
子どもたちの意見を聞き、指導してもらい、子どもを指導して、お互いに高めあう。
そんな環境を作れる指導者でありたいと思う。





