「人として」
指導者という職業柄、指導というメニューに気が向きがちになります。
指導者とはかくあるべきとか、こうでなければいけないとか。
という前に
「人として」
どうあるべきなのか。
子どもたちと接する以前に。
「人として」
自分を高めようとしているのか。
「人として」
間違っていないのか。
指導(技術・戦術)ができるから偉いのか。
技術が高いから偉いのか。
いや間違ってる。
そう勘違いしている指導者はたくさんいるような気がする。
プロになるのがゴールなのか。
技術を習得することがゴールなのか。
それは人それぞれ違っていい。
それを見つけてあげられるのが指導者じゃないかな。
世の中には、おおくの犠牲者がいる。
指導者の意図にそぐわない。
技術的弱者がいる。
そこに目を向けずに、上手いやつだけひろいあげて、それ以外は知らない。
私は、できないけど運動したい。
運動ができるようになりたい。
運動って愉しい。
そういう想いを創造していく。
今日そういう出来事に遭遇した。
悲しかった。悔しかった。
でもそれが現状。
一人でも、そういう子を救える指導者でいたい。
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